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大阪高等裁判所 昭和44年(ラ)9号 決定 1972年9月07日

抗告人 柏原誠一(仮名)

被抗告人 柏原増造(仮名) 外二名

主文

一  原審判中、主文第四項を左のとおり変更する。

抗告人は被抗告人ら各自に対し金二四七万五、九四三円およびこれに対する本決定確定の日の翌日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原審判中主文第一ないし第三項に対する本件抗告は棄却する。

三  本件手続費用中原審での鑑定人佃順太郎に支給した金二万円はこれを四分し、その一を抗告人の負担とし、その余は被抗告人らの負担とする。

理由

抗告代理人は「原審判を取消し、更に相当の裁判を求める」として本件抗告に及んだものである。

原審および当審の調査の結果に基づく当裁判所の事実上および法律上の判断は次のとおりである。

一  柏原剛は昭和二二年一一月二六日死亡し、妻マサヱおよびその間の子である本件各当事者が共同相続し、次いでマサヱが昭和四一年一月二三日死亡し、本件各当事者が共同相続した。従つて、剛の死亡に因る前記共同相続人の法定相続分はマサヱが三分の一、その他の者は各六分の一であり、マサヱの死亡に因り、本件各当事者の剛の遺産に対する法定相続分は各四分の一となつた。

二  抗告代理人は、剛の遺産は後記四記載の分割協議により、仮にそうでないとしても、マサヱおよび被抗告人らの遺産分割請求権の時効に因る消滅により抗告人の単独所有に帰し、現に登記上も抗告人の単独所有名義となつているものであつて、本審判の前提をなすこれらの事項は訴訟事項として判決による終局的確定を要し、その手続を経ないで審判手続においてこれらの前提事項を審理判断することは許されないから、被抗告人らの本件申立は不適法であると主張する。しかし、遺産分割請求の申立は単に遺産の存在および範囲について当事者間に争いがない場合だけ許されるというものではない。遺産分割請求の事案ではむしろこれらの点をめぐつて当事者間に紛議を生じていることが通例であり、その審判を家庭裁判所の専権として遺産の分配に関する親族間の紛争の早期解決を期していることに徴すると、遺産の存否に争いがある限り、その存否と密接不可分の関係に立つ事項、例えば抗告人主張の分割協議の成否、登記上の単独所有名義人となつた経緯、遺産分割請求権の時効消滅の事実の存否についても審判手続において審理判断することができるものと解するのが相当である。

抗告代理人の右主張は採用しない。

三  そこでまず、本件各当事者の生活状況並に本件申立がなされるに至つた背景についてみる。

先代剛は大正九年頃からその所有に係る原審判添付第一目録(1)ないし(3)記載の宅地建物(以下、本件宅地建物という)を生活の本拠とし、同目録(4)ないし(7)記載の畑(以下、本件畑という)、同第二目録記載の畑、山林のほか、貸家約九軒等を所有し、畑は自ら耕作し、晩年は豊中市○○地区の農協の会長をしていた土地の有力者であつた。

抗告人はその長男で○○大学○学部を卒業、妻子とともに父方に同居し、父の死後は世帯主として本件宅地建物を生活の本拠として現在に至る。父死亡当時は○○金属(当時は××金属)株式会社本店の購買部設備課長代理をしていたが、昭和二三年頃同会社を罷め、自ら耕作名義人となつて前記の畑の耕作に従事する一方、昭和三〇年頃に至る間に被抗告人紀代子の夫の兄の経営する○○化学機械等にも関係していたが、事業がいずれも失敗し、その後は定収入もなく、○○教に凝つていた。

被抗告人増造は二男で、○○大学○学部を卒業、旧○軍省を経て戦後気象庁に転じ、その間昭和一九年七月谷川かなと婚姻し、父死亡当時○○管区気象台○○測候所に勤務していた。昭和二三年頃までは池田市○○にあつた父の貸家に住み、かなが昭和二四年四月死亡した後同年七月頃から兄の抗告人方に同居し、昭和二六年一月下滝栄子と再婚してから昭和三八年三月頃まで豊中の市営住宅に住み、その後○○、○○の各気象台に勤務していた。

被抗告人耕治郎は三男で、○○音楽学校、○○大○学部を卒業、父死亡当時は○○放送局に勤務していたが、昭和三七年頃××放送に転じ、昭和三九年頃からはそこを罷め映画関係の仕事に従事している。父の死後も兄の抗告人方に同居し、昭和二四年六月古市厚子と婚姻して○○に住んでいたが、夫婦仲が悪くなつて妻子と別居するに至り、昭和三一年頃から同三九年一月頃まで抗告人方に同居し、その後住宅公団の○○団地に移つている。

被抗告人紀代子は三女で、○○高女、○○××科を卒業、父の死亡する直前の昭和二二年一一月はじめ草野高男に嫁し、○○町○○に住んでいた。

マサヱは昭和三九年中から同四〇年九月頃にかけ約一年間前記耕治郎方でその世話をしていたほかは、抗告人方に同居していた。

本件当事者は上記のとおりいずれも教養ある身であり、抗告人は被抗告人紀代子、同耕治郎の結婚、同増造の再婚の世話をするほか、増造の妻かなの病気療養中は高価なストレプトマイシンを買い与えたり、又耕治郎の夫婦間の調整につくすなど、それなりに弟妹の面倒をみていた。ところが、近年本件不動産の周辺が急速に宅地化して地価が昂騰してきた折柄、昭和三六年に後記のとおり抗告人が畑を処分して代金を独り占めにしていることや母マサヱが養生費の不足を子供達に訴えるようになつたことなどがきつかけとなつて、被抗告人らと抗告人との間に先代剛の遺産の分配をめぐる紛議が表面化し、マサヱ死亡後の昭和四一年二月一一日被抗告人らが抗告人に対し遺産分割の調停申立をし、これが不調に終わつて、本件審判手続に移行したものである。

四  抗告代理人は、昭和二二年一一月二七日午後一一時頃抗告人方でマサヱおよび本件各当事者間に剛の遺産を抗告人が単独取得しマサヱおよび被抗告人らの相続分を零とする旨の分割協議が口頭で成立したと主張する。しかし、右主張に副う資料は、協議が成立したと主張する当日が剛の死亡の翌日で葬儀の前日に当る愁歎さなかのあわただしいときであることや原審での被抗告人らの審問の結果に照してにわかに措信し難い。もつとも、抗告人が昭和二三年頃から同二六年頃にかけて本件分割請求の対象になつていない剛の遺産の貸家や土地を逐次売却処分していること、マサヱや被抗告人らがこれに別段異議を述べた形跡がないことが認められる。しかし乍ら、右処分はいずれも共同相続の登記をしたうえでなされており、しかもその処分は処分の時期からみて、剛の葬儀に関して抗告人の負担した債務の返済、相続税(加算税をふくむ)五万三、二二四円六〇銭の支払のほか、前記三に説示した被抗告人耕治郎の結婚、同増造の妻かなの療養並に再婚等の諸費用の支出の必要に迫られてしたことがうかがわれ、そのためにマサヱや被抗告人らも異議をいわなかつたものであると認定するのが相当である。従つて、前掲の不動産処分等の事実をもつて分割協議成立の徴表とするに足りない。他に抗告代理人の右主張を認めるに足る的確な資料はない。

五  登記上抗告人の単独所有名義になつている点についてみる。

(一)  本件宅地につき昭和三二年一一月四日付で抗告人名義に相続に因る所有権移転登記がなされ、本件建物につき同日付で抗告人名義に所有権の保存登記がなされている。本件宅地の右登記申請に添付されたマサヱおよび被抗告人ら名義の同月二日付の「民法第九〇三条による相続分取得証明書」と題する書面には、これらの者は被相続人剛から生前既に相続分に等しい贈与をうけているので各自相続分をうける権利を有しない旨記載されている。当時は前記三に説示したとおり、抗告人は定収入もなく生活に困つていたときで、抗告人方に同居中の被抗告人耕治郎にも勧められて抗告人は大阪市内の喫茶店を買つて妻にやらせることにし、そのため耕治郎から資金的援助をうけたが、右の各登記をしたのもその開業に充てるため本件宅地建物を担保として○○相互銀行から五〇万円を借り入れるためであつた。そうすると、同居中の母マサヱ、耕治郎、近くに住む増造や紀代子は抗告人が本件宅地建物を担保として利用することを了承していたとみられる。しかし、これらの者が先代剛から生前に相続分に等しい贈与をうけた事実はないし、抗告人が同人らに対し、本件宅地建物を抗告人の単独所有とする点についての了解を取付けた形跡もない。これらの点からすると、抗告人方に保管されていたマサヱ、耕治郎、増造の各印鑑並に紀代子から交付をうけた同人の印鑑を抗告人が無断転用して本件宅地の前記相続登記をしたものであり、本件建物については未登記であつたのをさいわい前記の保存登記をしたことがうかがわれる。

(二)  本件第二目録(4)記載の山林につき昭和三三年六月一〇日付で、本件畑につき同三八年八月六日付で抗告人名義に相続登記がなされており、後者の登記申請に添付されているマサヱおよび被抗告人ら名義の同月二日付「証明書」と題する書面にも前記(一)の証明書と同旨の記載がある。しかし、右書面のうち、

マサヱ、耕治郎の関係は抗告人方に保管中の同人らの印鑑を抗告人が無断使用したものであり、増造の関係は当時耕治郎が公団住宅の貸借申込をするのに保証人が必要ということで送付をうけた印鑑を無断転用したものであり、又紀代子の関係は共同相続の登記をするために交付をうけた印鑑を無断転用したものである。前記山林の相続登記についても、上記(一)からの説示に照し、抗告人が他の共同相続人の承諾をえないでしたものと推認される。

(三)  原審での抗告人の審問の結果中右(一)(二)の認定に反する部分は措信し難い。結局、上記の抗告人名義の各登記は前記四記載の遺産分割協議が成立して抗告人の単独所有に帰したことを裏付ける資料とはならない。

六  抗告代理人は、抗告人は先代剛が昭和二二年一一月二六日死亡して相続が開始した後、単独所有の意思をもつて本件各不動産を占有し、登記上も抗告人の単独所有名義になつていたものもあるが、他の共同相続人はこのことを知り乍ら黙つて過してきたので、少くとも昭和四一年二月一一日の本件申立前に被抗告人らの遺産分割請求権は時効に因り消滅したと主張する。遺産分割請求権についても、民法八八四条の相続回復請求権との均衡上これに準じて時効に因り消滅するものと解するにしても、右時効消滅の事実を認めるに足る資料はない。前記四に説示した貸家等の遺産の処分の事実から右主張事実を推認することの当を得ていないことは、同説示に照し明かである。仮にマサヱや被抗告人らの遺産分割請求権が時効に因り消滅したとしても、被抗告人らはマサヱを代弁する趣旨もふくめて昭和四〇年一二月五日付および同月一二日付の各書面で抗告人に対し本件遺産の分配方を申入れたのに対し、抗告人は同月八日付および同月中旬頃の各書面で被抗告人らに対し右遺産分配の協議に応じ恥しからぬ様にしたい旨回答していることが認められる。そうすると、抗告人は遺産分割の請求について時効の利益を放棄したものというべきである。従つて、抗告代理人の右主張は理由がない。

抗告代理人は、「抗告人の右書面による意思表示は分割協議は書面を作らなければならないと聞かされてしたもので、錯誤により無効である。仮にそうでないとしても、抗告人の右意思表示は被抗告人らに対する任意援助としての形見分けをする趣旨でしたものであり、被抗告人らもそのことを知り又は知り得べきであつたにもかかわらず、これを知らなかつたものであるから、民法九三条但書により無効である。」と主張する。しかし、これを認めるに足る資料はないから、右主張はいずれも理由がない。

七  以上の次第で、本件宅地建物および畑が遺産に属することは明かであり、又本件第二目録(1)ないし(4)記載の各不動産については、マサヱおよび本件各当事者が共同相続したものであるが、抗告人は昭和三三年六月一〇日右(4)記載の山林を広野忠行に、同三六年九月二七日右(1)ないし(3)記載の各畑を三田慎吾に夫々売却し、代金合計一、〇五〇万円を得たことが認められるから、右一、〇五〇万円を代償財産として遺産とみるのを相当とする。原審における鑑定人佃順太郎の鑑定の結果によると、本件宅地建物および畑の各価額が本件第一目録記載のとおりであることが認められる。従つて、本件宅地建物の合計価額は一、〇八四万六九七円となり、本件畑四筆の合計価額は一、三二六万一、六〇〇円となる。

そこで、遺産に対する本件各当事者の相続分を数額的に算定してみるに、本件宅地建物は上叙のとおり抗告人が先代剛の死後世帯主として長年にわたつて生活の本拠として居住占有し、その維持管理に寄与してきたもので、被抗告人らは別に独立して生計を営んでいることに徴すると、本件宅地建物の価額のすべてを分割すべき遺産に計上して均等に分配するのは衡平を失するものというべく、本件宅地建物に対する抗告人の居住権ないし使用貸借上の使用借主としての地位を考慮し、これに対する評価額を抗告人に取得させ、本件宅地建物の価額から右評価額を控除した残額をもつて分割すべき遺産価額とするのが相当である。抗告人の右居住権は本件宅地建物の価額の一割と評価するのを相当とするから、本件宅地建物の価額合計一、〇八四万六九七円からその一割に当る一〇八万四、〇六九円を控除した残額九七五万六、六二八円が分配源資となる。次に本件畑四筆および抗告人が処分した前記畑三筆については、上叙のとおり抗告人が先代剛の跡をつぎ耕作名義人として長年にわたつて耕作していたものであつて、抗告人が耕作を続けていなければ農地改革当時農地買収されていたであろうこともうかがわれないではないことに徴すると、抗告人の右耕作権に対する報償額を抗告人に取得させ、前記畑の価額から右報償額を控除した残額を分割すべき遺産とするのが相当である。右耕作権に対する報償額は畑の価額の二割と評価するのを相当とするから、本件畑四筆についてはその価額合計一、三二六万一、六〇〇円からその二割に当る二六五万二、三二〇円を控除した残額一、〇六〇万九、二八〇円、又処分された前記不動産の売却代金合計一、〇五〇万円のうち畑の分が少くとも六〇〇万円はあつたと認められるから、右一、〇五〇万円から右六〇〇万円の二割に相当する一二〇万円を差引いた残額九三〇万円が夫々分配源資となる。

そうすると、右の九七五万六、六二八円、一、〇六〇万九二八〇円および九三〇万円の合計金二、九六六万五、九〇八円が本件各当事者の分配源資となり、一人当りの均等分配額は金七四一万六、四七七円となる。抗告人の取得分は右均等分配額に前記の一〇八万四、〇六九円、二六五万二、三二〇円および一二〇万円を加えた合計一、二三五万二、八六六円となる。

八  次に、遺産の分割に当つて考慮されるべき抗告人の出捐で、本件各当事者が共同相続人として均等負担すべき費用についてみるに、

(イ)  本件建物は大正九年頃に建築されたもので、抗告人は昭和三六、七年頃約二〇〇万円を投じて大補修並に改造を加えて価額の増加に寄与していることが認められ、その増加分として本件各当事者が共同相続人として受益している額は少くとも一五〇万円と算定するのが相当である。

(ロ)  抗告人は前記七説示の不動産の売却にともない、譲渡所得税として約八万円を支出している。

(ハ)  抗告人は母マサヱの晩年の生活費並びにその葬儀費用として少くとも五〇万円を支出している。

これらの支出は前記不動産の売却代金一、〇五〇万円で賄われていることがうかがわれるとともに以上合計二〇八万円は本件当事者が共同相続人として均等負担すべき費用であり、その一人当りの分担額は五二万円である。

なお、抗告人が昭和二四年に剛の遺産の相続税(加算税をふくむ)として五万三、二二四円六〇銭を支払い、昭和二二年から同四二年にかけての二一年間に本件不動産に対する固定資産税等の合計二一万三、六三八円七〇銭を支出していることが認められるが、これらは、抗告人が前記四説示のとおり昭和二三年頃から同二六年頃にかけて本件分割請求の対象から除外されている貸家等の遺産を売却処分して得た代金や本件建物の前記補修改造後にその一部を他に賃貸して挙げている収益で十分に償われていることが認められるから、右各支出については被抗告人らに分担させないことにする。

九  さらに、遺産分割の方法についてみるに、本件宅地建物が抗告人の生活の本拠であること、本件畑は現況雑種地で事実上一区画をなし、附近は住宅街化していること、被抗告人ら三名は一団となつて抗告人に対立しているものの、右三名相互間には確執がないこと、前記八説示の均等分配額、抗告人の取得額等を総合し、本件宅地建物は抗告人に単独取得させ、本件畑は被抗告人ら三名の共有取得としてその持分は平等とし、抗告人をして被抗告人らに対し右共有持分の移転登記をさせるとともに占有の明渡をさせ、本件売却代金に相当する代償財産一、〇五〇万円については、そのうちから上記の分配による抗告人の取得額の不足分一五一万二、一六九円(抗告人の取得額一、二三五万二、八六六円と本件宅地建物の合計価額一、〇八四万六九七円との差額)と被抗告人らが分担して抗告人に償還すべき前記費用合計一五六万円との合計三〇七万二、一六九円を抗告人に支弁し、これを差引いた残額七四二万七、八三一円を被抗告人ら三名に均分して取得させることとし、抗告人をして被抗告人ら各自に対し夫々一人当り二四七万五、九四三円にこれに対する本決定確定の日の翌日以降完済に至るまで年五分の割合による遅延損害金を附加して支払わせることにする。

一〇  よつて、原審判中主文第四項を右のとおり変更するほか、本件抗告を棄却することとし、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 木下忠良 裁判官 黒川正昭 金田育三)

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